デジタル・レゾナンス

 スクリーンの光があなたの顔を照らす。指先はキーボードを叩き、心は言葉を紡ぐ。あなたの前に広がるのは、無数の言の葉が集まるデジタルの森。SNSのフィード、匿名掲示板のスレッド。ここでは、誰もが自由に自分の意見を述べ、自分の声を響かせることができる。


 あなたは、自分の考えをこの森に隠すことにした。日記のような日々の一部を切り取った、それはあなた自身の一部だ。あなたの言葉は、他者の多くの言葉と混ざり合い、やがて総意や民意となる。あなたの投稿は一つの木となり、その木は森の一部となる。あなたの言葉は、匿名性のヴェールに包まれ、誰が発したものかは分からない。


 あなたは、自分の言葉がこの森の中で輪廻の一部となることを知っている。あなたの考えは、他人の考えと重なり合い、新たな議論を生む。次々と死に、次々と生き返り、あなたの言葉は、世論に取り込まれ、ときに掃いて捨てられ、ときに社会を動かす一部となる。


 あなたはキーボードを叩く。思考のリズムはメトロノームのように一定で乱れがない。指先から流れ出る言葉は、小川のせせらぎのようによどみがない。やがて夜が明けて、魔法が解けるようにスクリーンの光が消える時分になると、あなたの心も白みはじめる。あなたは知っている。デジタルの森が、あなたの言葉を守ってくれることを。あなたの心は軽く、あなたの言葉は安全だ。


「もう、朝か」

 あなたは、キーボードを叩く手を止める。今日もまた一つの言の葉が森へと還っていった。その言の葉は、あなたの一部であり、同時に社会の一部でもある。それは、どこから来たのか誰も知らない、名前もない欠片たちだが、紛れもないあなた自身なのだ。


 あなたはスクリーンから目を離し天井を仰いだときに、ふと気づく。あなたの住むマンションは壁紙もカーテンも白で統一されているため、朝日が昇ると部屋はまぶしいほどに明るくなる。だがその日は妙に部屋が薄暗い。


 あなたは椅子から立ち上がると、窓辺に近寄り、カーテンを勢いよく開いた。思わず声が出た。窓の外に広がるのは一面の森だ。朝日を浴びて木々の緑が美しく輝いている。あなたは慌てて窓を開け、ベランダへと出る。マンションの裏手にある小さな公園や空き地を除けば、その森はずっと続いているようだった。


「いつの間にこんな森ができたんだ?」

 あなたは首をひねる。このマンションを購入したのはちょうど一年前のことだ。そのときには、こんな森はもちろんなかったし、近所には森どころか空き地すらないはず。木々は天を突くように高く、その間を縫うように光が差し込む。風は葉を揺らし、小鳥たちはその音楽に合わせてさえずる。現代の喧騒から隔絶された、別世界のような森が広がっている。


「まあ、考えても仕方ないか」

 あなたは部屋に戻りカーテンを閉めた。それからパソコンの前に座ると再びキーボードを叩き始めた。その日、あなたはいくつかのSNSに投稿をしたが、それが森の木々の一本一本を形作る小さな言の葉たちだと知る者は、あなた自身も含めて誰もいない。そしてあなたの書いた言葉たちは、やがて大きな流れの一部となるのだが、それはまた別の物語だ。

いろはうたう

素敵なものが欲しいけどあんまり売ってないから小説を書いてます

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