前評判クソな映画を公開初日に観てきた

 生まれる前から酷評されているような、前評判クソな映画を公開初日に観てきた。前後編に分かれていて前編は観たことがなかったので、前編でバラまかれたらしい伏線が、後編でひたすら消費されていくのを眺めていた。たぶんこの映画の監督もしくは脚本家にとって、伏線は回収するものではなく、鳩の餌みたいにその辺にばら撒いて勝手に処理させるものなんだろう、と思った。


 後編の二時間はずっと、登場人物たちがひたすら口論を続ける、という内容だった。たぶんみんな映画を観ながら「この映画はクソだ」という感想を抱いており、それを口に出すか出さないかの違いしかなかった。ぼくもずっとあくびをかみ殺しながら座りつづけていた。別に退屈なわけではない。飽きてしまっただけだ。


 上映後、トイレに寄って帰ろうとすると、後編を観終わった客の会話が聞こえた。若いカップルが感想を話しているようだった。

「金返せって感じだよ」と言った彼氏に彼女は、

「でもこれ前評判が既に悪かったじゃない、承知の上で来たんじゃないの」と冷静だ。

「でも俺は観たかったんだよ、……この映画の辿り着く先を」と彼氏。


「それなら目的は果たせたでしょう。好むと好まざるとに関わらず、あれが結末よ」

「でもやっぱり……釈然としないんだよな」

「それについて私たちに何かできるの? こんなものでしょう、他人のやることなんて」

 確かに他人がやることには終着駅のようなものが用意されていて、この映画の結末というのもその一つにすぎないんだとろういう気はした。


 ただ、釈然としないものは、釈然としないんだよな。

 映画館を出た後、カフェに入ってアイスコーヒーを飲んだ。大きな窓の外からは夏の青空が見える。ぼくはお代わりを頼むと、スマホのメモ帳アプリに『納得いかない』と打ち込んでみた。それが何だか呆気なくて、ぼくは文字を消して、スマホをしまった。


 通りを歩く人たちは皆一様に気が抜けたような表情をしていて、みんな似たように釈然としない気持ちを抱えているのかなという気がした。

 運ばれてきた二杯目のアイスコーヒーに口をつけると、スクリーンの中にでもいるような感覚になる。あるいはぼくたちの暮らすこの世界の方がスクリーンで、その中をあの怪獣たちが動き回っていればよかったのに。


「納得いかない」と小さく呟いてみる。

 通りを行く人たちの目が一瞬ぼくに向けられた気がしたけれども、彼らはすぐに興味を失ってしまう。まるでぼくがここにいないかのように、足早に通り過ぎていく。あるいは彼らがそこにいないかのように。


 アイスコーヒーを飲み干して、席を立つと会計を済ませて店を出る。映画のパンフレットは買わなかったし、グッズも何一つ興味を惹かれなかったけれども、きっといつかあの怪獣がぼくらの街にもやってきて、前評判クソな映画を公開初日に観た気分と一緒に世界を瓦礫にするのだろう。

 カフェの軒先に吊られている風鈴が、風に吹かれてちりんちりんと鳴った。

いろはうたう

素敵なものが欲しいけどあんまり売ってないから小説を書いてます

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