本を隠すなら森の中

 私の祖父は地方銀行の役員を勤めていました。彼はかなりの読書家だったそうで、祖父の家に遊びに行くと、そこには天井まである本棚にびっしりと詰まった本たちがありました。「おじいちゃんは昔、けっこうな読書家だったんだよ」と祖母がよく言っていたのですが、実際に家の中に入ってみるとその蔵書量は本当にすごいものでした。「本屋が開けるんじゃないか」と言うと、祖母はにこにこして「そうだね」と言うのです。


「おじいちゃんは、本を隠すなら森の中、って言ってね。だからこの家には森があるんだよ」

 意味のわからないことを言う祖母に「どういうこと?」と私は訊ねます。この家の中に森なんてありません。

「さあねえ。でも家の中に本を隠せる場所なんて限られているでしょう」

 祖母は笑います。納得できない私はさらに尋ねました。

「どうして森なんだろう、本屋さんの方がたくさん本があるから隠せるのに」それこそ、木を隠すなら森の中です。


 すると祖母は、そんな私の前でしゃがむと、優しく頭を撫でながら言いました。

「たしかに世の中には本屋さんもあるけれど、でもね、本というのは森で探すものなんだよ」

 どうして? と私はさらに尋ねます。

「本屋さんには店員さんがいるでしょう」

 うん、と私が頷くと、祖母は私の顔を覗き込みながら続けました。

「そうするとね、みんなに見られちゃうわけだから、本当に自分がいいと思った本をこっそり買うのは難しいよね」

「そうかなあ。わたし、本屋さんでこっそり買っちゃうけどなあ」

 私が少しむっとして言い返すと、祖母は首を振って言いました。

「それはまだ子供だからだよ。大人になればなるほど、人の目が気になるようになるのさ」

 そういうものなのかな、と私はまだ少しむっとしながら思いました。「大人」というのが具体的にどういうものなのかよくわからなかったからです。そんな私の顔を見て祖母は笑うのでした。


 私は祖父が本を隠しているらしい「森」を探すことにしました。「森」というのはおそらく比喩なので、どこか本棚の奥にしまってあるのかもしれません。しかし祖父母の寝室にある本棚は大きすぎて、どこを探していいのか見当もつきませんでした。

「おばあちゃんも一緒に探してよ」と言うと、祖母はにこにこしながら頷くのです。私は本を読むことは好きでしたが、祖父がどういう本を隠していたのかはまったく知りませんでしたから、祖母の協力は不可欠でした。

「家の中にはいくらでも本がしまえる場所があるはずでしょう。だから、そういう場所のことを指して言っているのかもしれないね」

「じゃあ、このおうち全部が本を隠すための森なの?」なんだか釈然としません。


「おじいちゃんは本の虫だったからねえ」懐かしそうに言う祖母の言葉に、私は、本の森の中でのんびり読書をしている虫になった祖父の姿を想像するのでした。しばらくふたりで家探しをしたのですが、いっこうに「森」は見つかりません。

 本を隠すなら森というのは、祖母の冗談だったのではないかと思い始めた頃、私は居間に置いてあるサイドボードの下に引き出しがついていることに気がつきました。何も入っていないだろうと軽い気持ちでその引き出しを開けると、そこにはぎっしりと詰まった古びたノートが入っていました。

「おじいちゃんの日記だ」

 私はそう呟くと、一冊手にとってぱらぱらとめくりました。すると最後のページに挟んであった栞が床に落ちました。

「なんだろう、これ」

 栞を拾って、表を眺めます。ノートのページと同じく古ぼけた栞には、森の中に女の子が一人佇んでいる絵が描いてありました。

「おやまあ」と祖母は言って、そしてしげしげと眺めます。「綺麗な栞だこと」


 そう言われてみると、たしかに古びた紙に描かれた女の子は美しく見えました。まるで本当に森の中にいるようです。じっと眺めていると、なんだかその女の子に見覚えがある気がしました。そして私は唐突に、この栞の女の子が若き日の祖母であることに気が付きます。

「これ、おばあちゃん?」

「ええ、そうよ」祖母は優しく微笑みながら答えました。「これはおじいちゃんが私たちが出会った森で描いてくれたの。おじいちゃんは、絵を描くのも上手だったのよ」


 それからも祖母と一緒に家のあちこちを探しましたが、これが森だ、というような場所は見つかりませんでした。それよりも何かを見つける度に祖母の惚気話を聞かされるのにも疲れて、私はだんだんと森なんかどうでもよくなってきました。そんな私の様子を見て、祖母もまた「そろそろ夕飯にでもしましょうかね」と言いながら、満足したような足取りで立ち去るのでした。

いろはうたう

素敵なものが欲しいけどあんまり売ってないから小説を書いてます

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