郊外の砂漠にて

 ある朝、小さな地方都市の郊外で信じられないような出来事が起こった。昨夜まで緑豊かな田園が広がっていた場所に、一面の砂漠が広がっていたのだ。空は青く澄み渡り太陽は照りつけるが、風は一切なく砂粒一つ動かない静寂が支配していた。

 住人たちは目を疑った。僕と彼女もまた、この奇妙な現象を目の当たりにしたこの街の住人だ。僕は大学で砂漠について学んでおり、彼女は日本画を専攻する美大生らしい。互いに面識はなかったが、この日、砂漠の縁で偶然出会った。

「こんなことが可能なのか?」僕は自問自答しながら砂を掬い上げる。

 彼女は一心不乱にスケッチブックに砂漠の風景を描いている。

「美しい...」彼女はつぶやいた。「でも、どうして?」

 僕は答えを持たない。一夜にして砂漠ができる理由など、もはや科学の範疇ではない。

「これは夢?」彼女は自問していた。

「現実みたいですよ」と僕は答える。


 僕たちは言葉を失ったまま立ち尽くした。目の前の景色が何を意味するのか皆目見当もつかなかった。馬鹿げた話だが、このまま砂漠化が進み、やがては街全体が呑み込まれるかもしれないという危機感すらあった。原因が解らなければ、想像しうる可能性は全て起こりうる。

「どう思いますか?」と僕は彼女に尋ねた。

「わからない」と彼女は答えた。

「でも、何かが起きていることだけは確かだと思う」

「そうですよね……」と僕は頷いた。

 彼女は田んぼと砂漠の境界に腰を下ろすと、再び砂漠の景色を描き始める。風に吹かれて砂塵が舞う中で、彼女の鉛筆の音と乾いた風が吹き抜けていく音だけが聞こえる。


 僕は砂漠の中心に向かって歩いてみることにした。試しに一歩を踏み出すと砂に足を取られる。靴の中に砂が入り込んでくるが気にしなかった。

「待ってください」と彼女に呼び止められた。「どこへ行くつもり?」

 僕は振り返り、彼女に微笑みかける。

「わかりません。でも、砂漠に何があるのか気になって」

「無いものは明らかなのに、砂漠に行くんですか?」

 彼女は少し躊躇っていたが、やがて静かに立ち上がり、僕のそばに近づいてきた。

「一緒に行ってもいいですか?」

 僕もまた不安だったので彼女の提案を喜んで了承した。


 僕たちは砂漠の中心に向かって歩きだした。足元の砂は柔らかく、一歩進むごとに足が沈み込んでいくようだった。しばらく歩くと大きな砂丘が現れた。その頂上に登ると、街全体が見渡せる絶景が広がっている。

「すごい……」と彼女がつぶやいた。

 僕たち二人は肩を並べて、広大な景色を眺めていた。太陽がじりじりと照りつける中、風の音だけが静かに響いていた。

「私たち以外に誰も来ないのかしら?」と彼女が言った。

 僕は周囲を見回してみたが、人影は見当たらなかった。ただ遠くに見える山々や草原だけが、昨日と変わらずに存在していた。突然に砂漠化したこの場所から見ると、それらがむしろ異常であるかのように思えてくる。


「今のところ僕たちだけみたいですね」と僕は答えた。

「案外、今頃は行政の人達が来て、立ち入り禁止にしているのかもしれません」

 彼女は頷くと、鉛筆を手に取った。そして目の前の景色をスケッチし始める。僕もまた彼女と並んで座り込み、砂漠の様子を眺めていた。

 どれくらいの時間が経過しただろうか。気がつけば太陽は沈みかけていた。砂漠の地平線に太陽が沈み込んでいく光景はまるで一枚の絵画のように美しかった。彼女も手を止めてその光景に見入っているようだった。

「そろそろ帰りましょうか」と僕は彼女に言った。

 彼女は黙って頷くと、ゆっくりと立ち上がった。そして僕たちは砂漠に背を向けて歩き出す。


 帰り道の途中で、あることに気づいた。いつの間にか砂漠のあちらこちらに人々が点在しているのだ。老若男女を問わず、様々な人たちがいる。皆一様に無表情で、無言のまま立ち尽くしていた。まるで時間が止まったかのように微動だにしない。

「みんな動かないですね」と彼女は周囲を見渡し不安そうな声で言った。

「どういうことだと思いますか?」と僕は彼女に尋ねた。

 彼女はしばらく考えていたが、やがて小さく首を横に振った。「わかりません」と答え、再び黙り込んでしまった。僕たちは無言のまま歩き続けるしかなかった。


 やがて僕たちは田んぼと砂漠の境界に戻ってきた。

「ちょっとした冒険を終えた気分です」と僕は肩をほぐした。「私も……」と彼女も微笑む。二人であぜ道に座り込み、目の前に広がる光景を眺めていた。いつの間にか日が沈み、辺りは薄暗くなっていた。街の中心部に立つ建物が明るく輝いている。見慣れたその光景は、なぜかこの世の終わりのようだった。

 彼女が口を開いた。

「あの……もしよかったら……また会えますか?」

 僕は少し戸惑ったが、すぐに笑顔で頷いた。


 僕たちはそのまま別れの挨拶を交わして別れた。一人きりになり、どこからか染み込む蛙の鳴き声を聞きながら歩く。田んぼの真ん中に砂漠が現れても、小さな地方都市は普段通りで、特に変わった様子もない。僕だってそうだ。家路を辿る人々の群れに向かって歩き、スムーズに合流する。

 やがて夜の帳が降りるだろう。地平線の彼方から太陽が顔を出し、ゆっくりと世界を赤く染めるその時まで。

 目を閉じると瞼の裏に砂漠の風景が浮かび上がり、頬を熱い風が撫でていった気がした。

いろはうたう

素敵なものが欲しいけどあんまり売ってないから小説を書いてます

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