忘れものの言葉
町のはずれに古びた図書館がある。時間の歯車によって摩耗し、静かに物語を紡いでいるような佇まいの建物だ。
ここには世界中の言葉が蒐集されているそうだ。ある日わたしはこの町を訪れて、この図書館で働くことになった。
門番が言った言葉を今でも覚えている。
「この町では誰もが何かしらの仕事をしなければならない。だがそれは仕事をしなければこの町で暮らせないという意味ではない。俺が思うに大切なのは順序なんだ。ようこそ町へ、我々は君を歓迎するよ」
図書館で働くのはわたしだけだ。上司も部下も同僚もいない。仕事を教わる者も教える者もいないが、わたしは自分の仕事は理解している。それが、わたしのすべきことや、わたしのしたいことであるかどうかは別として。
この図書館に所蔵された無数の本には題名がない。だから本の内容を確認して棚ごとに整理するのが、まずはわたしの仕事。
ただし本は開くとページが羽になって逃げようとするし、読もうとすると文字がが風に乗って飛んでいこうとする。だから扱いには慎重さが求められる。
前任者(それとわたしもだ)がやらかした後始末として、天井の隅や本棚の奥に溜まっている言葉たちを集めるのも、また別のわたしの仕事。
私は集めた文字を、フォントごとに分けて、並べ換えて文章にする。
「世界はとても広かったんだ」
「君はどこへ向かう?」
「ありがとう、本当に感謝している」
そんな言葉たちに向かって私は訊ねる。
「迷子の文章くん達よ、いったいここは、どこなんだろうねえ」
しかし言葉は一方通行で、私の問いかけに答えてはくれない。
この図書館にある言葉達は、かつて人々の時間を繋ぎ、感情を伝える大切な手段だった。
でも世界は変わった。人々は同じ言葉を話していても、違う意味を話している。たぶん言葉を使わずとも、諍いをするには十分な意思疎通ができるからだろう。
結果、言葉は徐々に使われなくなり、次第に忘れ去られていった。今では小さな町の図書館の片隅で埃を被っている。
ときどき逃げたり、絡まり合ったり、甘えてきたり、日なたぼっこしたりして、図書館の中ですごしている。
わたしはこの図書館で古い日記を見つけた。それは前任者の手によるものだった。酔狂なことをするものだ。わたしには絶対無理だ。そもそも文字を書けない。たぶん遠い過去、言葉がまだ価値を持っていた時代に綴られたものだろう。
わたしにはこの日記に書かれている文字を判読できない。どこかで見たような気はするが、どこで見たのか思い出せない。この町に来る前のわたしは、この文字を読んで理解することができたのだろうか。だがいずれにせよ、それはもう終わったことだ。
わたしは前任者が書いた日記を眺めながら、そこに書かれた文章をなぞる。世界が背負う未来について訊ねてみる。
意味なんてわかるはずもないけど。
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