波のまにまに
朝、目が覚めた瞬間、何かがおかしいと感じた。
壁に掛けられた時計の秒針が、いつもより少しだけ速く進んでいる気がする。窓の外を見ると、人々もいつもより速いテンポで歩いている。コーヒーがドリップする速さ、シャワーの水流、テレビアナウンサーののナレーション、全てがまるで1.1倍速で動いているようだ。
通勤し会社に着くと、その違和感はさらに強まった。同僚たちの動きが速く、なんだかせわしない。いつもならゆっくりと聞こえる会話も、今日はやけに早口で交わされる。パソコンのキーボードをたたく音も高速で鳴り響く。世界全体が昨日までとは異なるテンポでリズムを刻んでいる。
昼休み、公園のベンチに座りぼんやりと思う。もしかすると私が気づかないだけで、これまでにも似たようなことがあったのだろうか。時間と我々の進む速さは日ごとに異なるのだろうか。例えば1.01倍速や0.99倍速のように。いや、今日がイレギュラーだったのは私自身の方かもしれない。普段は加減速する世界の慣性に従い、人々もまた連動しているのではないだろうか。だとしたら私はどうやって元の時間の流れに飛び乗ればいいのだろう。
私たちの心拍数、呼吸のリズム、感情の波、それら全てのテンポは、普段よりも速いのだろうか。あるいはいつもよりも遅いのだろうか。知らないうちに見知らぬ人たちのリズムに巻き込まれながら、私は自分の鼓動を数えてみる。1回、2回、3回……。まるで濁流のようだ。人々の集合的な時間が生み出す流れに、私はどこかに連れていかれそうになる。
夕方、家に帰り着く頃には、世界の時間は元の速さに戻っていた。あるいは私の時間が世界に同期したのかもしれない。わからない。だが今日の出来事は、私の中で何かを不可逆的に変えてしまった気がする。今日感じ続けた違和感は、昨日まで見過ごしてきたものだ。明日からはそうはいかない。一度壊れた自動車は修理したところで事故車なのだ。
その夜、私は寝付けなかった。目覚めたとき、世界はどんな速さで動いているのだろうか。そして、私はそれに気づくことができるのだろうか。寝返りを打っていると、部屋の隅に蜘蛛がいるのに気が付いた。その蜘蛛の動きは驚異的に遅い。止まっているようにすら見えた。近づいて観察すると、蜘蛛はまさにゆっくりと移動している最中だった。不思議だったが理由はすぐにわかった。部屋の時計を見ると秒針もいやに遅い。蜘蛛がゆっくり動いていたのではない。私だけが速いのだ。それを自覚した恐怖と自らの叫び声で目が覚めた。
目覚めると部屋の中はいつも通りだった。風が揺らす木の葉も、電線に止まり囀る鳥も、ゆっくりと回る時計の秒針も、違和感はない。私は安堵のため息をつく。洗面所に行き、顔を洗い歯を磨き、スーツに着替えて仕事の準備をする。
いつもの時間、いつもと同じように部屋を出る。駅までの道はせわしない世界だ。人波に押し流されながら会社に向かう。これまで何度も繰り返された、何も変わらない退屈な景色だ。
視界の端に、一人だけ妙にゆっくりと動いている人がいた。私は彼を見て見ぬふりをした。
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