赤よりも暗く黒よりも明るく

「疲れた……」


 私の足は重く、一歩一歩が永遠に感じられる。

 階段を上るたびに、息が切れ、心臓が激しく打ち始める。

 なぜこんなに階段が多いのだろう? 世界に上り坂と下り坂は同じ数だけあるはずなのに。

 私は上り坂ばかり上っている気がする。


 私はついに耐えられなくなり狭い踊り場に座り込んだ。

 ここから見る景色はいつも変わらない。

 同じ灰色の空。同じ無機質なビルの群れ。同じ方向に流れる人の波。

 風は吹かない。空気は均質で平板だ。予兆も期待もなく、沈滞と諦念がある。


 ふと足元に小さな花が咲いているのに気づいた。どうして今まで見逃していたのだろう。

 小さな命が、この灰色の世界に色を与えている。私はもう一度階段を見上げた。

 道化師が踊りながら階段を降りて来る。彼の尖った革靴が花を踏み潰す。

 私はそれを無表情で見つめていた。


「なぜ、こんなに美しい花を壊すんですか?」

 私は立ち上がり、道化師に向かって問いかけた。本当に解らなかったのだ。

「美しいもの? この花が? それはあまりにも陳腐だ」

 道化師は答えると、奇妙な笑みを浮かべた。


「君は可哀そうだな。

 この世界は美しさを求める場所ではない。

 ときに争い、ときに協力し、ときに出し抜き、媚び売り諂い、後ろから刺す。

 人の皮を被った化物たちが蔓延り争い合っている場所なんだ」


 道化師の言葉には温度がなかった。熱くもないし冷たくもない。

「そんなことはわかっています。それでも、私にはこの世界しかないんです」

 私は叫んだ。しかし道化師は首を振るばかりだ。

「それは違うな。君は騙されてそう思い込んでるだけだ」


 道化師はそう言うと、私の目の前で手をくるりと回し指先に一輪の花を取り出した。

「お嬢さん、この美しい花を君に贈ろう。

 もしそれで階段を上り続ける君の疲れが癒えるのならね。

 でも君には別の選択肢もある。ぼくの言っていることは解るだろう?」


 そう言うと彼は私の横を通り過ぎて行った。

 道化師の革靴が花を踏み潰す。その音がいつまでも耳に残っている。

 でもその音が何を意味するのか私には判断ができない。

 私は迷った末に、手の中で花を握りつぶすと階段を見下ろした。


 ちょうど階段を上ってくる中年男性がいた。

 彼は避けるそぶりを見せない。私が道を譲ると確信しているようだ。

 黙って道を譲り、すれ違いざま彼の襟を引っ張り階段の下へ突き落す。

 でかい図体の割にあっけなく落下したので、私は楽しくなり階段を下ることにした。


「ごちそうさまでした」

いろはうたう

素敵なものが欲しいけどあんまり売ってないから小説を書いてます

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