アンチ・レペゼン図書館

 図書館で『反レペゼン図書館』とかいうタイトルの本を見つけてつい借りてしまった。

 家に帰ってぱらぱらめくったところ、「図書館は反社会的勢力の巣窟である」という一節があり、実際に図書館の人が書いた本のようだったので、なかなか歌舞いてるなとびっくりする。そこまで言い切っているのだから、いったいどうしてそのような考えを持つに至ったのかが気になるところだ。本にはまず「図書館の本は公共物である」という認識が掲げられていた。これはまあ確かにそうだと思うし頷くことができる。


 しかしそこから先の主張については首を傾げざるを得なかった。たとえば「図書館の貸出制度は利用者を不当に拘束するものであり、悪質な取り立て行為である」とか「貸出上限冊数が多すぎるために借りたくても読めない人が多数いる」とか「図書館は利用者が選ぶ本を勧めているが、これは利用者の好みを誘導し支配する行為である」とか主張は多岐にわたっていたが、いずれも説得力に欠けているような気がした。

 その理由は何だろうと立ち止まり考えたところ、どうも図書館と利用者が対立する構造が曖昧だからではないか、という感想に至った。この『反レペゼン図書館』は利用者目線で書かれているが(それは「反」と標榜している以上、べつに構わないのだけれど)、それにしても図書館に対して矢鱈と好戦的だ。


 僕は読み進めるにつれて次第にわくわくしてきた。何だか酔っ払い同士の喧嘩を眺めてるような趣がある。

 なぜ図書館と利用者は対立するのか。著者はその問いに対して、「それは図書館が反社会的勢力の巣窟だからである」という身も蓋もない結論を飛ばしてきた。そしてそこから先へ展開される想像力には目を見張るものがあった。たとえばこんな調子だ。

「利用者は図書館の文化的庇護のもとに置かれているように見えるが、その実態は反社会的勢力である図書館に生殺与奪の権を握られている」


 さらにこんなことも書いてある。

「ある人が図書館で本を借りようとする。しかしその人はその本を自宅に持って帰って読むことができない。なぜならば図書館には貸出上限冊数というものがあり、それを超えると予約している他の利用者のために本が回されてしまうからである。そのため利用者はその本を読んでしまわざるをえず、読まずに所有しておきたいという思いを我慢しながら本を返すことになる」

 貸出上限冊数が多すぎて借りたくても読めない人が多数でてくる、と言ったかと思えば、貸出上限冊数というシステムを撤廃しろと言わんばかりの支離滅裂な論調にぞくぞくする。


 そもそもそんなに気に入ったのならもう自分で買っちゃえよ、と思いながら読み進めていると、著者はさらにこんな主張を展開した。

「このように図書館は利用者に対して本を占有することを、本の貸し出しシステムを通して潜在的に強要している」

 その主張があまりにも堂々としたものだから、僕はつい納得しかけてしまった。気に入った本なら購入すればいいではないか、とついさっき思ってしまった手前、なるほど確かにそうかもしれないなと一瞬思ってしまったのだ。

 いやはや無茶苦茶な理屈を展開する本もあったものだなあ、と僕はこれが図書館に置かれていたという奇跡に感謝する。あるいは布教活動の結果なのかもしれないけど。どちらにせよ宗教の一種であることには変わりない。


 夢中で読んでいたのか、すっかり夜になっていた。窓の外を眺めていると、ふと子供の頃のことを思い出す。僕は家から少し離れたところにある図書館に足繁く通っていた。そこにはあまり多くの人が訪れなかったものだから、いつも静かで落ち着いた雰囲気があった。

 思い出の中の僕は回遊魚のように書棚の間をうろうろしている。時折、ふと立ち止まり装丁の惹かれて本を手にとる。ぱらぱらとめくってみると絵が載っていて、なぜかひどく懐かしい気持ちになる。何という題名だったんだろうか。それを思い出せないまま月日が経ち、きっともう永遠に思い出すことはできないのだろうと思うと、僕は寂しいような気持ちになりながら『反レペゼン図書館』を閉じるのだった。

いろはうたう

素敵なものが欲しいけどあんまり売ってないから小説を書いてます

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