知らない友人

 中学の同窓会に出席することになった。たまたま実家に戻っていたので、よい機会だからと参加することにしたのだ。

 中学を卒業してからもう十年になるが、困ったことに特別なんの感慨も湧かなかった。とはいえどうも妙な胸騒ぎに襲われて、それが年を取ったせいなのか他の理由によるものなのか判断しかねたので、同窓会に行く前に寄り道してかつての通学路を歩いてみることにした。


 河川敷には一面にコスモスが咲き乱れて、柔らかな色彩を夕闇に溶かしていた。十年前に何度も通った道を歩いていると、ふと校訓の『凡事徹底』という四字熟語が思い出されて、これは何かの啓示なのかしらと考えているうちに同窓会の時間が近づいてきたので、会場の新しく出来たらしい居酒屋に向かうことにした。


 入口で受付を済ませると、見知った顔もあれば見知らぬ顔もあり、じろじろと不躾な視線を送ってくる者もいる。別に不快ではなかったけれどもなんだか尻の座りが悪い感じもして、これは早めに帰ってしまおうかなと思い始めていると親しげに肩を叩かれる。振り向くと、そこに立っているのは名前もうろ覚えな男子で、しかもなんだか馴れ馴れしい感じで「おう久しぶり!」などと言うものだからますます誰だかわからなくなってしまった。


 知らない友人はぼくが戸惑っていることなどお構いなしにあれこれと話しかけてくる。

「へえ」とか「ふうん」とか気のない相槌を打っていると、そのうち向こうも苛々し始めたようで、「おいおいしっかりしてくれよ」ときつい調子で言うので、こっちもかちんときて思わず強い口調で、「いや、それよりまずきみ誰なの?」と聞いてしまった。


 知らない友人はびっくりしたように目を見開いて黙り込んでしまった。やってしまったなあと思い反省していると、やがて知らない友人は急にへらへらと笑い出して、「ひでえなあ、でもまあ、もう十年も経ってるからしょうがないか」と言うので、ぼくはちょっとほっとした。


「ごめん、悪気があったわけじゃないんだけど……」

「いやいやこっちこそ悪かったよ」彼はちっとも悪びれない様子で言った。

「でもお前にそんなふうに言われるとなんだか傷つくな」

 知らない友人はそんなことを言いながら、また馴れ馴れしくぼくの肩まで組んでくる。あまりのなれなれしさにぼくはびっくりした。


「きみ、ちょっと距離感おかしくない?」

 思わず言うが、知らない友人は、

「まあまあまあ」とまるで聞こうとしない。どうやら酔っ払っているようだ。

 どうしたものかなあと思っていると、幹事が立ち上がって、

「さて皆さんおまちかねの余興タイムでーす」と言った。


 なんだ余興なんてやるのか。聞いてないぞと思いながら周りを見渡すと、どうも他の出席者も同じように戸惑っているので、事前には知らされず伏せられていたようだ。同窓会ってそういうものなのだろうか。

「余興タイムなんて学生みたいだね」と知らない友人に話し掛けてみると、彼は遠くを見るような目で、「俺はさあ、同窓会が楽しみで楽しみでしょうがなかったんだ」と言った。


「なんで?」

「お前に会えるからだよ」

 彼の目は真剣そのものだったのでぼくはどぎまぎした。

「いや……それはどうもありがとう……」と口ごもりながら答えると、彼はぼくの肩から腕を外して急に立ち上がった。

「よし! じゃあ行こうか!」


 そう言って彼はぼくの手を引いて立ち上がらせた。

「え? どこに?」

「余興タイムだよ」と彼は言った。「お前が主役じゃないか!」

 そう言いながらぐいぐいと引っ張られてぼくは何故か会場の外へと連れ出されてしまった。廊下をずるずると引きずられていく間、すれ違う同級生たちはぽかんと眺めていたが、やがて一人が立ち上がって追いかけてきた。それは女子の同級生で、彼女はぼくを引っ張る彼の腕をぐっとつかんで引き留めた。


「ちょっと男子! なにしてんのよ!」

「ああ、お前か」と彼はうんざりしたような声を出した。

「今は取り込み中なんだ、あとにしてくれよ」

「なにが取り込み中なのよ、いいから手を放しなさいよ!」彼女はぐいぐいと彼の腕を引くが、彼はぜんぜんこたえる様子はなく、ぼくをどんどん廊下の先へと引っ張っていくのだった。


「まったくしょうがないな……」と彼が呟いたかと思うと、ぼくの体はふわりと宙に浮いた。ぼくは彼に抱きかかえられているのだった。いわゆるお姫様抱っこというやつで、ぼくはびっくりして声も出なかった。彼はぼくを抱きかかえたままどんどん走って階段を上り、やがて屋上へとたどり着いた。屋外に出ると冷たい風が吹いていて少し肌寒い。もうすっかり秋なのだなあと思っていると彼はぼくを地面に立たせて、

「じゃあ俺は行くから」と言ってすたすたと歩き去ろうとしたのでぼくはあわてて、

「ちょっと待ってよ!」と彼の手を引っ張った。


 すると彼は足を止めて振り返り、じっとぼくの顔を見つめた。相変わらず馴れ馴れしい距離の近さだったのでぼくはまたどぎまぎした。しかもあたりはもう薄暗いので彼の表情がうまく読み取れなかったのだけれども、なんだか急に不安な気持ちになってきて、とにかく何か喋らなければいけないような気がしたのである。

「えっと……きみはぼくのなんだったの?」と聞くと彼はちょっと考えるような間を置いてから、

「……なんだ、ここまでしといても思い出せないのかよ」と呆れたように笑った。


「ごめん……」ぼくはますます申し訳ない気持ちになってしまったので、慌てて言葉を続けた。

「でも今回こうして会ったんだから、これから思い出せるんじゃないかな」

「そうかなあ……まあいいや」と彼は言った。

 その言い方がなんだかやけに明るい調子だったので、逆にぼくは不安になったのだけれども、彼があまりにさっぱりとした口調で言うものだからそれ以上何も言えなくなってしまう。


 彼はまたぼくをまじまじと見つめてから、急にぼくの頭をくしゃくしゃっと撫でた。

「じゃあな!」と言って背中を向けて、屋上から走り去っていった。その足取りはなんだか軽やかで、彼の背中は宵闇の中に溶けていくようだった。まるで夢でも見ていたようだと思いながら、ここでじっとしていても仕方がないので会場へと戻る。

 同窓会はすっかり盛り上がっているようで、歩みを進めるにつれて、会場から漏れる賑やかな笑い声が聞こえてくる。ぼくがいないことに誰も気づいていないようだったので、ちょっとほっとしたような寂しいような複雑な気持ちになりながらも会場に足を踏み入れた。

 たまたま幹事がこちらに気づいて「トイレにでも行っていたのか?」と訊くが、どう答えればいいのかわからない。結局正直に、屋上でたぶん昔の友達に会っていたんだ、と言うと、幹事は訝しげな表情を浮かべて「なんだそりゃ」と言った。ぼくもそう思うよ、と心の中で呟きながら席についた。

いろはうたう

素敵なものが欲しいけどあんまり売ってないから小説を書いてます

0コメント

  • 1000 / 1000